2020年8月18日火曜日

陰と陽 光と影

 週末 大学時代の後輩や生徒さんと旅行に行きました。

それは大人数で‥
大人数で暮らすという大変さと楽しさを体験しました。

予算内で安く買うのに
スーパーや市場でどっちが安い?と連絡とりながら走ったり
車の人が電車の人を迎えに行ったり
チームワークや連携がとれているので
一人ではできないことも大人数だと大変だけど
とても楽しかったです。

当日、朝、参加をあきらめていた人がいた時も
「あなたが欠けては意味がない」と
「何もしなくてもよいから参加だけでも良いからきて」
という言葉に動かされて予定のメンバーが全員参加できました。

誰かが一等賞というゲームではなく
全員が同時にゴールするゲームのように
歩調を合わせるという感じ・・・

それぞれが個性を発揮して
各々がやらされているのではなく
やりたいからやっているという協同

そして何より、楽しむという喜びのエネルギー全開でした・・。

この何か月かの準備もあっという間の一瞬で終わるという
虚しさは残るのですが・・
まるで花火のように、一瞬輝いて余韻が残る・・
人間の一生のようでもありました。

人の違いを認めるということ
自分の欠点を見つめるということ
相手の良さを発見するということ

いろんな気づきのあった興奮の日々でした。

そしたら今日、こんな過去のブログが目に留まりました

まだまだこのスピの道に入る前のこと・・。

今日もまた素晴らしい映画を見ることができた・・

2年前の1月にあと2年はかかると言われて
もうそろそろ2年・・・

今年の夏くらいから
中野宗次郎さんのセッションを受けて
「くう」という映画を見て
満天の星に輝く星ではなく
その光る星の周りの暗闇の方にも
意味があるのだということに気がつけるようになった

なぜ障害者が生まれてくるのか?
なぜ犯罪者がいるのか?

映画の中の問いは
意味がなく存在しているものは何一つ無くて
皆が大きな命の中で
一つ一つ違う役割を持っているだけなのだと
改めて腑に落ちた

先日の聞いた
間脳の話の中でも
私達のDNAはチンパンジーともさほど差がないと聞いた

こんなに完璧なまでに
すべてがうまくいくように出来ている宇宙
そんな奇跡のような今を
良いとか悪いとかではなく
ありのままをそのままただ受け止めると
過去の苦労までもがあの出来事のお陰でと
感謝に変わる

過去は変わらないというけど
今をそう捉えた途端
もう未来は変わる・・・

村山先生がこの8年ずっと言い続けてくれた
たくさんの言葉の全ては
「宇宙が見守ってくれている 大きな命に私たちは見守られている」
に集約される

だから名前が悪かろうが・・凶方とっていようが良かったねと私は言える

だから私(村山先生)のところに来たんでしょう?

もう大丈夫!
それがあってよかったねと。

もっともっと宇宙を、天を 信頼して生きていいんじゃないかな・・と
大きな命に身を委ねたほうが楽しく楽に生きられると
縁のある人に伝えることができるようになって
本当に良かったな・・
よくここまで来たなって
そう思えた一日だった・・

全ては拡大し、成長していくのかと思っていた
宇宙だって 
私達の魂だって・・

でもそれすら違う

1で生まれ2で育ち、3で発展し、4で繁栄し、5で完成し
6の充実のあとは
七赤で一爻不足となり欠けて
八白で止まり
九紫で離れる

筋ジストロフィーでいつかピアノが弾けなくなっても
その弱っていく自分も自分なんだと
それすらも受け止める姿に
滅びゆくものこそ神と
カタカムナの先生がおっしゃった意味がわかるような気がした

癌になった患者が、自分の意志では動けなくなって初めて
今まで動けたことの方が奇跡で
生かされているのだということを実感しているという話も出てきた

いずれ年老いて、弱って、できなくなった時も
誰かの世話になるくらいなら
迷惑をかけてまで生きたくないという声も聞く

役に立たないなら生きている価値が無いのか?といったら
それも違う・・

プラスもあってマイナスも有る

できる人もいて出来ない人もいる

それが陰と陽

障害のある子供を普通の学校に入れることで悩んだ時
10年以上前に天空堂さんに言われた言葉は
そのほうが社会としてのバランスがとれるというか・・
その方がエネルギーが調和されるのだということだった・・・

障害児ばかり集めてもダメだし
できる人ばかり集めても駄目で・・
お互いがその役割の中で
与え合うものが有るので
それぞれにちゃんと意味があるのだと
そんな意味のことを言われた気がした・・

何が良くて何が悪いというのではない

親になっても
先生と言われるような立場になっても
無力感に襲われることは多いけど
その分、私が何も出来ない分
子供たちや生徒さん達は
周りの人に恵まれて助けられて
自分で解決して自立していけるようになっていると思う
それは私自身が彼らを
大丈夫って信頼しているからであり
私を含め、皆が同じように誰が可愛いということでなく
神様に愛されているからと疑わないから

べつにクリスチャンではないけど
それを主や神と呼ぶ人のこんな詩に感動したので
紹介したいと思う

「フットプリント(足跡)」


ある夜、一人の男が夢をみた。
夢の中で彼は海岸を主と歩いていた。

空を横切って彼の人生のそれぞれの場面が
走馬灯のようにかけめぐった。

それぞれの場面で、彼は砂地に2組の足跡が
あることに気がついた:

ひとつは彼自身のもので、もう一つは主のものである。


彼の人生の最後の場面が目前にあらわれた時、
彼は後ろの砂地の足跡を振り返った。

彼は彼の人生の道のりをたどって何回も、
足跡が1組だけのところがあることに気がついた。

彼は、それが自分の人生の中で、
もっともどん底でもっとも悲しい時であったことに気がついた。

これは非常に彼をイラだたせ、彼は主にこのことについて尋ねた。

「主よ、あなたは一旦私があなたについて行くと決めたら、
いつでも一緒に歩いてくれるといいました。
しかし私は自分の人生の中で一番つらいときに、
足跡が1組しかないこと気がつきました。

分かりません、私が一番あなたを必要としていたときに、
どうしてあなたは私を一人ぼっちにしたのですか?」


主は答えました。

「私の息子よ、私の大切なこどもよ、
私はおまえを愛していておまえを一人ぼっちに
したことなど決してないのだよ。

おまえが試練や苦しみの中にいる間、
おまえが1組の足跡しか見つけられなかったところで、
私はおまえを背負って運んでいたんだよ。」

今日は涙が枯れるほど泣いた・・

亡くなった父も一緒にいてくれると思う時もあったけど
それ以上に、目に見えない大きな力に
いつも支えられ助けられ、励まされている
それを感じられる詩だったので・・
誰かに届けば良いなと思ってご紹介しました

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