2014年9月18日木曜日

命や私の存在する意味

『私』という存在は死んだらどうなるのか、死ぬとき『私』は何を見るのだろうか――。

 臨死体験について徹底的に取材し考察を深めてきたジャーナリスト/評論家立花隆

さんのNHKスペシャルを先日たまたま目にした

人間の恐れの一番が「死」の恐怖だから

死を目前としたときはもうその恐怖はいつくるの?と恐れることはなくなり

とても幸せで満たされる時を味わうらしい。

『私(自分)』という意識(魂)はどう生まれどう消えていくのか。

私たちが当たり前と思っている『私』という存在はいったい何なのか。

命や『私』の存在する意味を考えるなんて

そんな暇ない

老後考えようという時代が終わったんだなと感じた。


「自分について知りたい」

という問合せが若い方からも本当に多く

私も今月からコンサルを始めたのだが・・

人に聞くのも悪くはないと思う。

先日私も算命学で鑑定してもらって

この10年の子育ての疑問が一瞬で解決した。


自分ひとりで気づけるなら社会なんていらない

良い師に出会ったこと

良い仲間に出会ったこと

それは私の宝であり

過去の間違いや苦しみがなかったらそこからはい出そうとも思えなかったから

過去の自己破産も離婚も大嫌いな仕事をしていた時代も

すべて意味があったと感謝する日々であるが

今があるのもやはり人との出会いだったので

良い縁に出会うということが人生では一番大事なことだと思う。


自分が何をやりたい?とか自分は何?とかは

考えるものではなく、感じるものだ

エゴは人生が平凡に安全に行ってもらいたいから

そんなことに気づいてもらいたくないし

成長もしてもらいたくないと思っているから

邪魔してみせないし

親や先生からの刷り込みで

「私ってこういう人間」と思いっきり感違いもしていたりするので

今、迷いながら生きている人は

自分の命、つまり宿命、使命、などを

はっきりさせることも生きやすくなるひとつだと思う。


名前を変えたり

吉方を取ったりするのも大事だけど

祈ることもとても大事だと村山先生が

昨日易で説明してくださった

私も自分の部屋に祭壇があり

毎日マントラを唱えるんだけど

仏壇にお線香上げるとか

朝晩、神棚にお参りするとか

祈りの対象があるということがとても大事であると

孔子も述べている

それは

お坊さんに御経上げてもらうとかではなく

自分が参拝するとか御経上げるとか

お線香上げるとか

自分がするということ・・・。

そして毎日続けること・・。



自分探しの映画も本もセミナーもとても多いので

自分を感じてみる時間をゆっくりとることも必要で

元気で発展しているときには人はなかなか

そんな余裕もないから

うつ病とかになってストップ!と上から

スイッチを切られてしまうけど…

(そうしないと命が亡くなってしまうので・・)

常日頃からYOGAやったり瞑想したり

一生懸命掃除に打ち込んだり

なんでも良いから頭空っぽにして

考えることをやめて

ゆだねてしまう

そういう時間も持てるとさらに良いと思う。


それがなかなかできないと

強制終了させられるような

病気や不登校などの

出来事にも遭遇すると思う



伸びるためには一度屈伸してしゃがむことも必要だし

休むことも必要になってくるので

かっこよく休むのもいいんじゃないかな・・と

特に三碧、六白の人には教えてあげたい



早くたくさん進むことだけが良いと思いがちで

何もしないことは無駄だ・・・悪だ・・

と勘違いしているかもしれないけど

じゃーやってみて何が残っているか?

となったときに

満足感、達成感が無いのだとしたら

そのやり方は違うのだと思う

私なんかは・・

夏休みたっぷり2か月も海外に行って休んだから

さ~9月からがんばろう!というリズムになる

遊ぶ時は思いっきり遊ぶし

仕事するときは思いっきり仕事するし

ぼ~っとするときは何も考えない




回り道したり…

時期を待ったり・・

そういう選択肢も長い人生にはありだと思う・・



だって・・皆放っておいても死に向かっているのだから

死にそんなに急がなくても良いのにと思う



一番良いタイミングで

すべておとずれるものだから

今何もやりたくない

何をしたら良いかわからないなら

やりたいものが見つかるときが必ず来るから

それまで焦る必要もなく待っていたら良いと思う・・・


行きたいのに行けない

なら

行かなければ良い

そこを行こうとするから

問題が生じて

悩みが生じる



死後の世界のこととか

霊とか神とか仏とか

孔子が述べることはほとんどないし

お釈迦さまも生まれ変わるとか述べてないのは

仕事の世界があるとかないとかということではなく

今が大事

ということなのだろうと思う・・


死を意識するからこそ

今の生というものを大事にできる

生の延長上にあり誰しもが避けられないものではあるが

だからと言って見ないとか気にしないとか信じないということではなく

恐れる必要のないことをわざわざ恐れることもない・

ということ


私たちの悩みは・・・ほとんどすべて自分が作り出していると言っても

過言ではない・・

出来事によってではなく

受け取り方によって

同じ出来事でも悩む人悩まない人がいるのだから


身を縮めないと伸びないように

次の発展のためのじ~っとする時期

ここを無理しないでどう生きるのか…


本当に易の世界は深い…

村山先生の名古屋の易のクラスに出れることは

本当に何にも代えがたい

有難いことであり…

これを伝えずにもいられない・・・







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