2014年7月3日木曜日

愛情は執着なので苦悩を生む

昨日もホンマでっかTVで

愛はどれだけの時間と労力を相手に割いたのかということで

投資するほど好きになるのだというが脳科学的に言われていた。

これだけのことをしたのにってそれに見合う分が返ってこないと

人は不足を感じるものだ

本来は充足感だけ、満たされる安心感だけのはず。

でも

執着をもってしまうので、不安も不満も出てくるし

相手の幸せだけを純粋に願えないで・・・

こっちの気持ちという感情がどこに吐き出して良いのか・・・という状態になる

相手の自由も尊重したい

と思うのだけど・・・

愛と愛情は違う・・・とはよく言われること。

愛情は束縛があり・・・奪うということになってしまう・・・

「何かをしてあげることが思いやりだと勘違いしているんだね・・・」

という言葉に先日ハットした。

「何もしてあげなくても自分は価値がある人間なんだと思わないと」・・・と。

これは子育てにおいても私のテーマである

何か自分がしてあげることを

好きでやっているのはストレスを感じないが

ご飯を食べないとせっかく作ってあげたのにって思うし

チャレンジだって、ビーゴだって

やりたいって言うから買ったのに

全然やらないと

せっかく買ってあげたのにって思う。

遊びに連れてってって言うから早起きしたのに

遅くまで寝てて、やっぱ行きたくないって言われると

せっかく楽しませてあげたいと思うのに、なんで諦めるの?って

気持ちの変化に戸惑うことばかり・・


喜ばせてあげようとか、希望を叶えてあげようと思ってしたことが

私の思った通りの反応で返ってこなかったとき

ストレスを感じてしまう・・・

この2年間・・・電話するからといってかかってこないことばかりだった・・

疲れていたのだろうから仕方ないか・・・と思うときもあれば、

私のことなんて大事じゃないのか?と不誠実さに傷ついた


男性は女性のことを絵画のように鑑賞する

どの絵もきれいだなっていっぺんに味わえるのだそうだ。

でも女性は男性を音楽のようにしか愛せない

同時にいくつもの曲をかけるのは無理で、一曲だけを鑑賞するのだそうだ・・・。


ただ単に男女の違いなのか??

離れるためのお手配なのか・・・

それとも、エゴからモノを見ないで

愛の完全性を体験させるための試練なのか・・・


108さんの 『 I 』という愛について書かれた素晴らしい電子書籍がある

何度も読み返す・・・私の愛読書だ

「愛ははかない」と思っていると、その幻想が作り出され現実に体験させられ苦しむ

本来は「愛を育てなきゃ」とか

私がコントロールできるようなしろものではなく、

愛の方が私よりも大きくて、上にいて

愛は、「一方的で無償のものなのだ」と。

愛は恋に落ちるという表現の通りに

意識して、考えてできるものでもないから

奇跡であり

つまり、完璧であり

愛=完璧=神 なのだと。

だから

最初に盲目になった時こそが、本来の愛そのもの、実像で

そこに、アンカーを下ろし完結したら良いと。

でも実際ほとんどの場合、

エゴのせいでどんどんそこから遠くに行ってしまうもので・・・

愛を見ずに相手の言動に振り回されるようになり

愛はなくなったのかもしれないとエゴの見せる妄想にとりつかれ

結局はありもしない妄想の通りに現実が展開されてしまうという仕組みなのだとある。



頭ではわかる。理屈では100も承知!

頭で分かっても、感情は湧き上がる・・・・

だから辛い・・・



いずれも、八白が八白の上にいる6月

全てが停滞している・・・

停滞こそが次へのスタート

飛躍のチャンス

私たち生命も脳も基本的に、「変化」を脅威に思い避けようとする

「すべての変化は私を幸せにするために起こっているのですよ」

村山先生から何度も聞く話

でも・・・

他の人の話ならうなずけるのに・・・自分のこととなるとそれが受け入れられず苦しい

「閻魔(えんま)さま」というのはその縁を恨みに思うと魔になるが

「その縁のお陰で私が成長させてもらえる」とプラスに取るようになると地獄の苦しみから解放される

と仏教塾での内容が心にしみる・・・







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