2014年7月6日日曜日

真の愛へ

けさyoutubeの動画の紹介がメールできて

ふと開けてみたら

全く別の、エックハルトトールの

「それは本当の愛ですか?愛、嫌悪、期待、片想いや束縛、恋愛関係の原理」

が飛び込んできた。

ちょうどタイムリーなトピックで

探していた答え。



YOGAに行くときに偶然車中で流れている

村山先生の仏教塾の動画でも

「苦しい出来事はある

 しかしそれ以上に妄想を膨らませ

 二次的三時的な苦しみを生まないこと。」

と話されている・・・

彼と連絡が2週間も取れない

私のメッセージを読んだ形跡もない

もう二度と会ってくれないんじゃないだろうか?

今までもずっと騙されていたんじゃないだろうか?



妄想は過去にも未来にも飛び

事実ではないことに傷つき、心は痛む・・。

人は自分で苦しみを作り上げるのだ・・心理学で嫌というほど学んでいる・・・

でも、

思考をストップさせることは本当に難しい・・・

YOGAも瞑想も歯が立たない

子供が学校に行かない

そういう

事実はあるけど

このまま行かなくなったらどうしよう?

将来仕事もしなかったらどうしよう?

結婚できなかったらどうしよう?


女性はどんどん妄想で苦しみ続けることが多い

今月の支払いができなかったらどうしよう?

そういう不安が現実を作り出しているのだろう

わかっていても、潜在意識を変えるのは本当に難しい

でも人は本当に苦しみのどん底に行くとあとは上に上がるしかない


仏教には愛だけしかない

キリスト教のような試練はないと先生は言う。


仏は慈悲しか与えないのだと・・。

この苦しみは私を幸せにするためのものだと受け取れないから

辛いのだ

それはなぜかといえば・・・

自分が 自分がの 我 エゴがあるからだ・・・。

エゴがもつ欠乏感、自分は十分ではない、完全ではないという性質

あたかも誰かが埋めてくれるかのように恋愛は始まる
(パートナーじゃなくても
 子供だったり
 買い物や食べ物だったり
 仕事だったり・・・
 外のもので埋めようとするよね・・・)

そして、それが終わろうとするとき

それを相手が奪うかのような錯覚に陥り

相手を恨む

でも、このもともとの

誰かに自分の不足を埋めてもらおうということ前提が間違いなんだと

エックハルトトールは言う・・・

エゴの感情を客観的に見つめる観察者にならないといけないのに

すっかり同化してしまうが

本当に苦しみがないとそこに気がつけないので

やはり苦悩からしか人は成長できないようにできているのだろう・・・。

しかも苦しんでいるのはペインボディ。

つまり過去の感情の痛みで

今の本当の私ではない・・・

ついつい日常「私がやっている」という行為者のつもりで生きてしまうから

苦しいのだろう・・・

自分なんて何もできない

人のおかげ、縁のおかげで生きている

でも自分ひとりが頑張っているつもりでいると

仏のお手配だと受け取れないらしい・・・

社長だって社員が頑張ってくれないと売上は上がらないし

社員だってお客さんが買ってくれないと給料は貰えない

世のママたちも七夕の短冊は子供のことばかり

その子供や夫ががんばってくれて自分の夢が叶う

病気だって自分だけの力ではどうしようもない・・

応援してくれる医療機関や、薬や、家族がいてがんばれたりするものだ

出来事に勝手に自分で意味をつけないで

サレンダーしなさい

受け入れなさい

お任せしなさい

自分だってそうしたいのに・・・あがき・・抵抗する・・・

苦しみに飽きるまであなたは苦しみ続けるも今の私にはありがたいメッセージ




自分に縁する人は皆意味があり、大事なのだとずっと信じてきた

気学でも、インド占星術でも「騙されているので別れたほうが良い」とずっと言われてきた

でも私はやっぱり「迷ったら愛を選ぶ」で生きてきた

私たちは肉体がある以上体験することで学ばされるんだろう

人に教えてもらったことなどではなかなか目覚めないのかもしれない


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