2019年9月14日土曜日

映画と易と息子と私

天気の子の大ヒット御礼入場特典が欲しくて
娘がまた見に行くというので、
だったら息子に見てもらって
どんな感想を持つのか知りたいのでと
頼んで 行ってもらった・・

以下彼の感想

まあまあの出来だと思うよ。
映画としてはね・・

でも観客として置いて行かれてさ~。

親が亡くなっていたり
奥さんを亡くしている登場人物ばっかりで
共感に欠けるし
晴れ女のこととか
自然災害でラストがああなることとか・・
ありえないような出来事が2つでは
足りないから
もう一つ欲しかったのと

一番の悪者は
帆高じゃん

あいつが陽菜ちゃんの能力を
勝手に商売にして
そのせいであ~なったことを
自分のせいだって後悔してさ~。
だったらやらなきゃよかったでしょってことじゃん。

最初から無理あるでしょう・・
そんな拳銃持ったような危ない家出少年に惹かれるか?
俺だって須賀さんの様に
帰れよ 大人になれよって気持ちになるわ

って・・・

私は てっきり
帆高の気持ちで16歳の息子は観るのかと思ったのにと
がっかりした・・

新海監督の絵が奇麗なこととか・・

大人が汚いってこととか・・

地球環境が危ないってこととか・・

誰かを守るためには人は追い詰められたら出てくる狂気性とか・・・

馬鹿なことやって後悔してっていう経験が大事で
光が向こうに行ったからってだけで行くか?って
そうやって昔は都会にあこがれ
地方から出ていったわけで・・・・
いろんな仕事して
大人に騙され
いっぱい泣いて、笑って
そうやって大人になってきたのに・・

実際の世の中で人とかかわって失敗することが恐怖だと思っている
息子ならではの感想・・・

そして人は期待したようにはならないという学び

この子にこうなってもらいたいという親の愛は
本当の愛じゃない・・ってこと・・・

「デスパレートな妻たち」の有名女優が
娘を有名大学に入れたくて、不正入学をさせた判決をさっきやっていた。

良かれと思ってやることは
良いことではないってこと?

息子は過去に
良かれと思ってやったことで嫌なこと言われて
もう二度としないって誓ったらしい。

だから、何をしてもらいたいか
毎回 はっきり指示してもらったら
動くからと言われている。

きっとこうしてくれるだろうと
推測したり、悟ってくれとか
言わなくてもわかってくれとかは困るから
先に言葉で伝えてほしいと。

ネットとかでの他人のこの映画に対する感想を見て
自分は観ないと決めていたのに
自分の目で見てどうなのか?判断してもらいたいと思った私。

やっぱりこんなもんだったと
私には一生気持ちはわかってもらうことはないだろうから
私が死んだら夢を叶えてやると
吐き捨てるように 言って
怒って部屋に閉じこもってしまった・・・

昨日甘いものをたくさん食べたせいなのか?
映画館でジャンクフードを食べたり飲んだせいなのか?
はたまた・・魂のどっかが揺すぶられたのか?
私にもわからない

私は・・・次回の易でやる
天雷无妄の卦のテキストを作りながら・・
手が止まってしまった・・

无妄 つまり 無望という 望みを持たないこと 願い求めるとか ものを期待するとか
欲を持たないことというのを突き付けられている気がするのだ・・・

確かに
帆高のは おせっかいだった

陽菜ちゃんのため・・

でも・・・

人の欲ってそういうものじゃないか・・・

自分の為にじゃなくて
人のため
地球のため
人類のため

何がいけない?

天の道に従って動くならよいが・・
人欲を持って動くときは妄り(みだり)になる・・
と 孔子は言っている・・

娘の特典が欲しいという欲

私は二度同じものを見るくらいなら 
見たくないと言っているけど
漫画家や、シナリオライター 放送作家などに
なりたいという息子に
何かしら勉強のために見てもらいたいという欲

私がおせっかいだということか・・

それによって、
息子の選択や、感性というものを信頼してないととられて
傷つけたのか?

そうやって子供の自立する力を奪っているのか?

失敗する体験を奪っているのか?

この卦はいう・・
第二爻で
結果を期待しないで今やるべきことをちゃんとやりなさい
そうするととんでもないことが起きるよと。

ただただ、自分の為すべきことをすることが大事なのだ

人が一人くらい何かしたくらいで世の中変わるものではないのかもしれない・・

でも 諦めて何もしないより
何かはできることがあるだろう

それも、自分一人でやるより
誰かとチームでやるというのが大事なんじゃないか?

と思うと・・

家庭の中で
親と子だけで
親の期待に応えようとして 歪んでいく子供が多いのは
親というたった一人の ものさしで
その子供の良し悪しを押し付けてしまっているから・・

たった一人の担任のものさしで
限られた一部の人の発言で
大事なものが見過ごされているから・・

ちょうど、
「べてるの家の当事者研究を読んでいる。
べてるねっと
本当に面白いと思う。

統合失調症とか病名がついているような精神科の患者さんが
自分の病気について
心の中を見つめたり
反省したりするんじゃなくて
他人事のように眺めている研究で
それはそれは良く書けていて
それは専門家顔負けなくらいにすごいのだ。


だったら私も自分の心の中を他人事のように眺めてみよう

なぜ息子の感想に腹が立ったのか?

息子が帆高の生き方を否定しつつも
実は自分を投影していて
誰かの為にってやったことで
結局首を絞めるようなことになって
お前がそもそも悪いっていう気持ちを
息子本人に向けた言葉の様に感じてしまったからじゃないか?

良い面を観ようとしないで
なぜ否定的な 批判的な見方をしてしまうのだろうか?と

批判するよりも
頑張ったよね・・とそれもわかるよねって
受け止めてもらいたかった・・

人間は間違いがある・・
だから成長するのに
失敗や間違いを嫌い恐れて引きこもっている所とか・・

共感してほしかったのに
共感してもらえなかったこととか・・

でも人は100人100様だから
仕方がないじゃないか・・

ということも頭では理解できるし
そもそも私も
子供のそういうところを
否定して育ててきてはいないか?と。

人のことより
自分のことやれ!みたいな・・。

期待をかけることで、
劣等感を持たせていないか?

望んでいることと違うことを
押し付けていなかったか?

もう大人になろうとしているのに
子ども扱いして
口や手を出しすぎていたのか?

考えが次から次へ…

ま~そうやって私は
天雷无妄やりながら
皆様と
私利私欲がない 誠 真(まこと)というものについて、
考えたいと思っております。

9/19 13:30~
はじめての易 24回目
「天雷无妄」
スカイプで

録画受講も可能です







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