2014年11月11日火曜日

ハワイの人にもうつ病がある

ハワイにはうつ病が無いだろうと思う人が多いと思うが

日本や世界中の他の国と同じ割合で存在するのだそうだ。

というよりもっとひどいらしい

なぜならこんな楽園にいて私はなぜ鬱なんだろう?という罪悪感は

コンクリートジャングルの都会で鬱になるより重いからだ

娘が土日どこにも出かけなかったねと残念がっていたが
今週の土日楽しめなくてもそれほどすねたりしないが
USJにいるのに楽しめなかったら
ディズニーランドに来ているのにおみやげ買えなかったら
それは何のために来たんだ?となってしまう時の
悔しさというかストレスといったら普段の何倍にもなる

せっかく休みとったのに
これだけお金払ったのに
ここまで遠くまで来たのに
普通よりも楽しんでいない・・
自分で罪悪感を作り上げてしまう

今年は運勢が良いはずなのに
親なんだから子供を愛するのが当然のはずなのに
体に気を付けていたんだから病気にならないはずなのに
などなど・・・
そんな自分のこうなるはずなのにという思いが
高ければ高いほど、落ちるショックが大きい


エレクトーンを買うのに良い日がありますか?
と先日聞かれた
線路が良いですよと答えると
その日に買うと子供がコンクールで優勝するかしら?ときた

高いエレクトーンを買ったから
良い日に買ったから
そういう条件が揃えば揃うほど
人は現実とのギャップに
もっともっと不幸を感じる原因を作り出す

不幸というのはドラマでも描ける

実際の生活にいくらでもある

でも幸せは?というとそれは抽象的で
人によって様々で
あるとき幸せだと思っても
次の瞬間にいきなり地獄にもなる
みえないし、定義もないし
獲得できるシロモノではない

やしきたかじんさんの最後の2年を小説にした「殉愛」が
話題になっているが
食道癌の過酷な闘病生活の中の2年間を
「可愛そうでしたね」と作家の百田さんが奥さんのさくらさんに言った時のこと。

彼女はこう答えたという

「人生で最高に幸せだった」と。

私の知人はすごくお金持ちで
大豪邸に住み、別荘ももち
色々旅行もしているし
結婚生活も17年も続いていて
子供や孫に囲まれているのに
一度も満足を感じたことがないという

お金がこれだけあるのに幸せに感じられない
やるべきことをやってない気がする
私の使命は何なのか?
何をすると満足するのか?と

幸せにならなくてはいけないという
一種の強迫観念というか・・
自分で幸せってこういうことという
イメージに合わないことを
満ち足りてないと感じている人は
彼女だけではないと思う

「体が痛いならおもいっきり感じなさい」

とは誰が言ったか忘れたけど・・・

それは贅沢な悩みなんだ・・

だって

痛いと思える身体があるのだから。

いくらお金があっても食道は買えないと

たかじんさんは嘆いていた

生きているからこそ肉体の悩みがある

病気の子供を看病したり

親の介護をしているなら

そういう家族がいるということだ

孤独な人が聞いたら羨ましいと思うだろう。

あのナポレオンですら

作家になりたかったのに、最初の作品で叩かれて

夢を諦めて皇帝になった

最初の欲望は満たされなかったが

別の形で実現されるには

挫折もありえるのだ。

羽生くんはあの傷ついた体でメダルを狙っていただろうか?

この体じゃ、金メダルとれそうにないから、棄権しよう

なんて思わなかったと思う

飛びたい

と彼は言った・・・

だから飛んだ

着地は失敗したけど・・・何度も・・・何度も・・・

それでも、何度も立ち上がった

そして結果は銀メダル。でも金メダル以上にきっと幸せに感じたはずだ・・


どんな人も

今のままで

今いる場で

幸せだと感じられるものなのだ

たとえ転倒していても。

まっすぐ立って、人より高くにいなくても

たとえフロアに転倒していてもかっこいい!

そう思えたのは私だけではないと思う

昨日、私の生徒さんからメールが来た

秀夏さんの講義が面白くて毎回私には爆笑ポイントがあります。

気学の学びが面白くてたまりません。

今日は午前中は用事がないので、さっきの音声を早速iPhoneに入れ、東南に来ています。

いつもは時間がなくて一番近い自販機なのですが、

ちょっと今日は遠出、遠出といっても車で15分くらいかな、

いつも自販機のジュースやコーヒー、なんか最近、甘いもの取りすぎだなぁ、なんて思って

そうだ!今日はうどんでも食べよう!と◯◯の道の駅にきています。

お天気に恵まれ、川のせせらぎが耳に優しく、

着いたら早速勉強だ!

と思っていたのですが、

あまりの美しい大自然の中で

感謝の気持ちで胸がいっぱいになり、

水音を聞きながら、

こうしてメールを書いていますw

いつもありがとうございます。

秀夏さんのおかげで、

今、私は、ここに、こうしていられます。感謝です!

このメッセージは日盤吉方のうどんより私の心を温めてくれた

(私が凄いとか気学が凄いということを言いたいのでは無いのでお間違いなく)

ほんの一ヶ月前は人生真っ暗闇と泣いて泣いて暮らしていた彼女。

人はいくらでも変われるのだ・・

仕事も変わってないし、

宝くじが当たったわけでもない

何も環境が変わらなくてもだ。
(ちなみに彼女はまだ選名もしてないし勉強を始めたばかり)

どんな状況でも

私は、ここに、こうしていられます。感謝です!

という心になれるってホントすごいことだと思う


その心に引き寄せられて現象がやってくる

春になると花が咲く

花が咲くから春だとわかる

でも花は春ではない

つまり花が春を呼ぶのだという

私達が幸せだと感じるかどうかは

その人が幸せだと感じられるかどうかにかかっているので

その人が幸せだと感じるから、幸せに思える現象が引き寄せられるのだ

この子が賞をとったら幸せとか

病気が治ったら幸せとか

良い仕事についたら幸せになれるということではないのだ・・



吉方とったのに・・・名前変えたのに・・と文句をいう人は

心が常に変わることを忘れている

吉はいつでも凶になり、凶はいつでも吉に変わるのだ

吉凶なんて本来ない

物事に良いも悪いもない

縁によって心は常に変わっていく

それをずっと一定に保てるかどうか・・

落ち込む出来事があっても落ち込まず

すごく嬉しい事があっても慢心にならず

それはとてもむずかしい・・

生命は死へ向かい

心は放っておけば怠惰になり、楽な方へと向かわせるだろう

それを自己努力で成長、向上へと向かわせる心を作りたいと思う


ここに影があるということは光があたっている証拠なんだと

気づいた時、その瞬間にもう未来は変わるのだ。



















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