2013年5月30日木曜日


 先日会った月命三碧の男性が腰痛で杖をついていた。
私と同じで去年一白の吉方を取っていて
(一白は陥入と言って体の弱いところに出るか、お金に困るか人間関係に出ると言われている)
三碧木星神経痛。坐骨神経痛・・・これかぁと気が付いた。

私もこんなに腰痛がひどく長引くことがあるのかというくらいひどく
ネットで調べて良い治療院を見つけて動けるようになったのだけど
今までそれほど辛い痛みというのを味わったことがなかったから
年齢を重ねるということに伴う痛みや体に関して人の痛みが初めてわかるようになった。

座り方を見直し
枕を見直し、
日々できるだけ、歩くようにするなど、生活を改めつつ
なぜ今腰痛なのか?わからないのは苦しいが、陥入かと分れば
陥入だから半年か一年の辛抱かと安堵する。

こういう自分の問いかけに答えがもらえること

それをシンクロニシティーと呼ぶ。
これが来ているときは運勢がいい。

昨日は娘を福井の学校に見送りに行くと駅で彼女は大泣きだった・・。
(普段はそんなことはないのだけど)
乗り換えの駅で足が痛くて動けないと電話がきて
夕方も食欲がなく足が痛いと電話がきた。
おとといの土曜も熱を出した。
今週末は札幌に行っていてあまりゆっくり一緒にいられないこともあり
私に甘えることができなかったから
寂しさで体にそれが出ていることがわかる。
病気や痛みという不幸がないと人は心配してやさしくしてくれないものと思っているから
愛情を受け取れない代わりにそうやって心配や関心を抱いてもらいたいのだ。
(愛情をどれだけこちらが持っていてもそれに関係なく・・・受け取れないのだから仕方がない)そう・・・

人のことはわかる・・・・

でもこの自分の中のもやもや・・・
これこそが、
久しぶりに味わう孤独感だと気が付いて驚いた。

一白の陥入がきつくて・・・と昨日メールをいただいて初めて・・
そうか
私も陥入が出ていたのだ!!
相手は一白の本命。一白中宮の日に一白の年盤方位で出会った。

この10年ほど、結婚して子供ができてそれなりに充実していたけど
経済的にアップダウンも激しく、
子ども中心に忙しく動き回っていた。
私が何をしたいというよりも
家族のためにばかり考えていて自分のことを考える余裕もなかった。
(考えようとしなかったのだと今はわかる)

しかし去年吉方をとってケアンズにいたときに
「寂しくないの?」と今の彼に質問されたとき(当時はつきあっていなかったので)
「寂しいなんて思ったこと一度もない。ヨガもあるし、勉強もしていて充実していて
子どもたちの成長が楽しみで、私が一人の時間を持ったところでやりたいこともみつからない」
と言っている自分がいた。

本当にその時はそう思って疑わなかった

でも、本音は違っていたのだと思う。

休みが終わり、学校に子どもたちが行くと、
ひとりでいる開放感、勉強に集中できる時間が私に充足感をもたらし
潜在意識の中では、一人の方が好きで、一人になりたいといつも願っていたから・・

そしてその望みどおり、
ここ一週間彼からのメールも電話もない状況が続く中で
なんで??という思いがどんどん膨らみ
「会えなくて寂しい」「話せなくて寂しい」から
「事故でもあったのかしら?」という妄想へどんどん大きくなっていった。

実際は会えなくても、電話で話したら落ち着くし
メールが来れば元気なんだなとか・・・
今日は忙しいんだと状況が分れば安心するものの

一切連絡がこないこの状況に関しては
「何か悪い事でもしたのかしら?」「気が変わったのかしら?」など
妄想がどんどん膨らんですべての時間がそれに覆われてしまう。
心配が怒りに変わり、約束したのに守れないなんて最低とか
相手を非難する気持ちが湧いてくる

他のことに気持ちをシフトしようとしても
かえって不安は増すばかり・・

そんなときに「ポルトベーロの魔女」という本を
図書館で借りると、こんなセリフに出会った

自分には力があると信じなさい
最初のうちは混乱して自信が持てないかもしれない
自分はだまされているんじゃないかと不安になるでしょう
でも実際はそんなことはない
あなたは知っている
しっかりとそれを認識したら良い
この地球上の精神は全て
いとも簡単に最悪なものに引っ張られるもの
だから病気や侵略や強盗や死を恐れる
だから失った歓びを返してあげるのよ
目的を明確に持つこと

毎日1分ごとに自分を成長させてくれるような考えを抱いて
自分を立て直すこと
腹が立ったり混乱したら
自分を笑う 大きな声で笑えば良い
馬鹿ね 何を心配し悩んでいるの?
自分の悩みがまるでこの世で一番大きいみたいじゃない?
そうやって深刻な状況を笑い飛ばすの
だってあなたは母神の顕現でしょ?
精神を集中させて
できなかったら呼吸に集中するの
自らに耳を傾け自分の能力に驚嘆する
あなたは自分が信じたものになっている

良く前向きな思考を信じて謳う人が言うように
自分は愛されている、強くて有能だと何度も繰り返しても無駄

そんなことは言う必要がない
だってもうわかっているもの

それでも不安に思うなら
進化の段階でしょっちゅうあることだと思うこと。

自分は思っている以上に優れているなんて証明しようとしないで
とにかく笑いなさい
心配も自信の無さも笑い飛ばすの

ユーモアをもって自分の悩みをみつめてごらん
最初は難しいけど慣れて行く
私たちは誰だってすべてを知っている
要はそれを信じるか信じないか

他人と生きること
それが人間の生きる条件

と書いてあった・・・

「愛は習慣でも約束でも負債でもない。ロマンチックな音楽が教えてくれるようなものでもない。愛とはそうあること。定義はない。愛しなさい 問わない方が良い ただ愛しなさい」
「あなたは愛し方を誰かから教わった?身に付けたんじゃない。信じているのよ。信じているから愛せるのよ」
というところを読んだ時だった・・・
電車の中で
私の顕在意識は何とも思っていないのに
心の奥の奥の方から湧いてくる「それこそ私が知りたかったこと」という声に
涙がこぼれて仕方がない体験をした
(これは今までの人生で一度だけ前にも経験がある)

その日私は自分の意図を探していた。

ずっと愛で成長し続ける

と書いた

でも「愛とは何なんだ?」という思いに違和感を感じていたので

「何が愛なのかわからない」ということを探し続けてきて、

「わからない」という状況を自らが引き寄せてきてしまっていたのだと気が付いた

「愛が何かを理解したい」と心が定まったとたん・・答えが本からやってきて、

彼から

「ずっと家を離れていた。いつも愛しているよ」と短いメールが届く

もう一つ候補で

幸せがずっと続くように、「幸せを持続させたい」と書いていた・・

過去に離婚を二度もしているので

愛が続かないという経験から

今回も結婚してしまったらまた終わりが来るので

ずっと遠距離恋愛のままでいた方が新鮮な気持ちも持続して

お互いに良いのではないかと心によぎったことがあった

毎日連絡をとってきた彼と連絡がぷっつり切れたのはその日からだ。

潜在意識は私の願いと裏腹に、私の恐れを引き寄せる

パウロ・コエーリョ著の「ポロトベーロの魔女」の一部から・・

要するに幸せとは何なのか?
愛だと人は言う
だけど愛は幸せをもたらさないし、もたらしたためしがない
それどころかもたらすのは常に苦悩や戦場、幾夜もの眠れぬ夜
だから自問するのだ 私たちの行動は正しいのかと?
真の愛はエクスタシーと苦悩からなるもの

じゃあ安らぎか?安らぎ?母神はけして安らいではない
冬は夏と戦い、太陽は月と常にすれ違い 虎は人間を追いかけ、人間は犬を恐れ
犬は猫を、猫はネズミを追いかけ、ネズミは人間を脅かす

お金は幸せをもたらす?
確かにそのとおり。最高級の生活を送るだけのお金を貯めた人は仕事を辞めるかと言うとそうともいえず
以前よりもさらに活発に動き回る
すべてを失うのを恐れるかのように
お金はさらなるお金をもたらす それも確か
貧困は不幸をもたらすかもしれないが その逆は真ではない

私は人生でずっと幸せを追い求めてきた
今本当に欲しいのは歓び
歓びはセックスのよう 始まりと終わりがある
私は快楽が欲しい、満足していたい じゃぁ幸せは?

と問答は続くことになるのだ・・・

私たちの周囲のすべてが普遍的な欲望
欲望はいつだって不完全。満たされればもう欲望じゃないんだから・・・。

?????

欲しがっているものはすでに手にしているのだと気が付いた。

そう・・もう到達しているのだ・・。

一歩ごとに到達しているということをただただ信じればよい・・・

それだけ・・。

自分達に備わる力とすでに明かされた奥義を理解できるようになるためには
まずは期待、恐怖、みかけの燃焼が必要でそれではじめて、
安らぎに浸ることができるのだ。

自分は愛され、好かれ、守られている

という文章がやっと理解できた

そのことに気が付くためにこの孤独感は必要だったんだ・・・

それもひとつの愛の形

亡くなった父にもう期待することもなければ、失う恐怖もない。
いつもそばにいて守られているのだと私は知っているからだ。

これを私は今まさに理解しようとしているんだ

7か月もメールをくれ続けていた現実よりも、
たった数日メールがない方にだけに焦点を当て続けているなんて

人生ってそうやって無駄な時間を過ごしているのかもしれない・・・

私が娘と別れてさびしくないように
このつながりがいつか終わりが来るなんてことが絶対にあり得ないから
獲得しておくために、つなぎとめておきたいがために
愛を確認することがばかげているように
愛を信じて疑わないということがどういうことなのかを
時間や距離で測れるものではないのだということを
教えてくれるための時間だったんだ・・・。

人生に対して何を投げかけるのかはとても大事だ。

具体的に聞けば具体的に返ってくる

気づくかどうかは別として。




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