2014年12月15日月曜日

アナスタアシアにはまっています・・

昨日 うさと の服を買いに行きました

肌触りが良い麻50%オーガニックコットン50%と

ゴワゴワでちょっと違和感がある麻100%と迷っていたら

外に着る麻が100%であろうと化繊であろうと

着る人の方がはるかにすごいエネルギーを持ち

着る人の意識が良いも悪いも決めるのだと言われて

「どっちら着て楽だったり気持ち良いと感じるか・・」が大事だと

素晴らしい「気づき」を得ることが出来ました

これが高いから良いとか

こっちのほうが効果があるとか頭で考えるのではなく

自分がどう感じるのか?

その意識に寄って食べ物も、着るものも、住むところも

変わってくるという重要性・・・


今 「アナスタアシア」という本にハマっているのですが

(これはどんな世の中に出回る情報やスピや自己啓発や育児本より

 素晴らしいのでぜひぜひお薦め 図書館にもあります)

本来人間が持っている素晴らしい力、能力、に感動したり

それを退化させたり、邪魔してしまう親や文明などの環境にがっかりしながら

それでもこの時代を生きている以上は

どちらともうまく融合して生きていく意味があるのだと

模索する日々です


宇宙という素晴らしい自分を超えた存在と

自分という人間のもつ気(エネルギー)

内気と外気

自力と他力の活用

どちらが良いとか悪いとかいるとかいらないではなく

生かし活かされるのが生活なのですね。

活かされているという意識で生きるということと

自分が、ただのちっぽけな力の無い人間というのではなく

実は人間こそが星にまで影響を与えるほどに

外に出すエネルギーがあること

周りと呼応しているのだということを

実感しながら、いかに生きるか?

その方向性を認識する日々です。

方位を取るとか、名前を変えるというと

自分が悪いから何か外のものに寄って自分を良くしようと

パワーを借りて良くなろうという他力思考に思われがちなのですが

実は先程の服と同じで

方位を取ろうとか名前を変えようと思った時には

思っている自分というものが存在していて

今の生活とか、心とかがそこに存在するので

他力本願的なこれを持ったら幸せになれるという類のものとまたちょっと違います

この村山先生と他の流派の気学との大きな違いは

先生の宗教的なバックグランドに影響しているところが大きいのですが

先生は気学と言わず

最近は社会運勢学と読んで区別しています。


このキリスト教などの宗教とバックボーンになっている仏教との大きな違いは

今後、講師を目指したり、

人の悩みの相談や鑑定を受けて行く時には

明確に理解しておくことがとても大事なので

明日の鑑定者養成講座でご紹介したいと思います。

また・・・

星ごとの運勢も

一白の上は陥入といった運の消長以外に

実は道軌の法則や十二支や奇門遁甲などとも

結びついているという新しい鑑定法がありますので

お伝えしたいと思います。

鑑定者講師養成講座 12月16日 午後13時半から

@5000円

CD受講 +500円

村山先生の名古屋気学の高度な内容と常に心構えをセットして

お伝えするシリーズです

単発での受講も可能です

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2014年12月1日月曜日

生まれてきた意味 使命とは?

先日子供を置いて、一人週末高速を運転しながら・・
私は前世でも来世でも子供を持つことはなくて今回は持ってみたかったんだな~と
ふと感じました。

でも、この世は修行と思っているから
一番大変な障害を持った子が二人も来てくれたようです。
ハンディーがあるから、とか父親がいないからと
結構私はできるだけ子どもと過ごそうとしてきたのですが、
「今日はママひとりで行ってくれない?僕宿題がたくさん出てて・・」と
生まれて初めて私がNOとは言えない「言い訳」を息子はいってくれました。
「絶対行く、私5つも目覚ましかけるから」と豪語していた娘は爆睡していました。

いつもなら、ここで娘を起こし、行きたくないだの言われて
嫌な気持ちになり出かけるのですが
起こさずに時間通りに出かけることが出来
友人と深い話がたくさんできました。

子供たちがもう少し大きくなるまではとしないようにしてきたことを
子供たちがどうであれ、私がしたいことを私のペースですると決めたら
それに伴う現象が起こった日でした。

紅葉も楽しみながら、たくさん気づきもあり、
なんともいえない満ち足りた楽しさを感じて
そうか・・・ただただ・・
経験して体験して楽し~な~幸せだな~と感じること
そのために生まれてきたんだろうなと思えました。

それが良いとか悪いとかジャッジすることでも
意味付けをすることでもないのだと・・
どうも私は頭で考える癖があり
理由を見つけようとしてしまうのですが
直感でしたいからする・・・
そういう生き方に変えるきっかけとなる日でした。

アナスタアシアという本があるのですが、
その中に、持つと幸せになるという
シベリア杉が出てきます。

それを持ったら幸せになるのかな?と友人に聞くと、
持たないと幸せになれないという前提や、制限を生み出すので
結局は青い鳥でどこかにあるんじゃないかと探すだけになってしまい
ずっと何か足りなくて、今のままじゃ幸せになれないと思い込むことになるよね・・
それがいくら力があっても
そういう波動の人がそれを手にするだけの話で
要は自分の波動を上げるだけのこと
魂が成長しないことには宝があっても価値に気づけ無いんだよ
という話になり
自分の今の波動にあう人や物に出会うだけのことなんだなと思いながら・・
夢中でアナスタアシアを読んでいます。(むちゃおすすめ)

マグダラのマリアと聖杯を読み、
前世でプロバンス地方にいてアロール教会に属していたか
カタリムズを信仰していたんじゃないかという気がするんで
ヨーロッパに行きたいなというと
それも一番ベストなタイミングで
自分の波動が高くなった時に自然に行けるだろうから
今行ったところで、何も起こらないんだよ
依存だからね・・
これがあったら治るとか
ここに行ったら幸せになるというのは依存だから
と言われてなるほど~と思ったのでした。

サイババや、神霊治療も同じことを言われたな~って思い出しました。
奇跡はいつでも簡単に起こるけど、学びが終わってない人には
それを学ぶために病気や経済苦などあるわけだから
とったとしてもその後戻されるよと。

物や場所には自然に呼ばれるものだと頭でわかり体験もさせてもらうことは多いのですが
インドなどは私は何度行ってるけど
実はあまり好きじゃないのにとこぼすと・・
「それは人生は修行だと思っていたからよ」
と一言・・
図星です・・

やっぱり・・。どうせ行くなら楽しいところ
ここ行きたい!ってワクワク心が踊るところを神様にオーダーしないとね!

現象や感情は私の信念や、思い込みや、こころの癖を教えてくれるためだけのものだから・・。

波動セラピーもそれで病気が治りますか?と言われたら
治るかどうかは本人次第。

バイオアロマも波動セラピーも
一瞬は波動を上げてくれるんだけど・・
(波動は一度上がっても、下がる時は下がる・)
それは、
波動が上がらないとやる気も沸かないので、
ガソリンが入っていないんじゃ車も走れないわけで
何か行動する前に、ゼロだった気が充満され
良い物が良いと感じられたり
悪いことはしんどいかもと距離を置こうとしたりと
最低限動くレベルには戻るけど
何かが治すわけではなくて
そこまで行った時に治すのは自分・・。

今のままの食生活だといけないよ~
今のままの考え方
今のままの習慣を自分で気がついて変えたいって思う人は
変わるってことが実はとても簡単にできるのだということを
実感させてくれるもの・・

人は気づいたら変われる
細胞は全部3ヶ月で交代するから
3ヶ月が勝負だったりする・・

その後習慣になると、、もう後戻りはなかなかできない

いったん健康になると人は美味しいと思う食べ物も変わるし
食べる量も少しでも満足する
良い習慣は辞めるのはもうしんどいって思うから


真弓先生が漫画を出しているのでこれはおすすめ
<a href="http://www.biken-guide.co.jp/doc/hanbai.php" target="_blank" title="食に関しての漫画はこれ">食に関しての漫画</a>

抗癌剤が世界中で禁止されているのに日本人はまだ使っているけど
いよいよ来年厚生省でも禁止されるらしい・・

2015年は今まで信じてきた価値観が180度変わることになる

でもその病気がないと困る人
その問題がないと困る人にはどんなに良い物も効果は感じられないだろうな~。

案外こういう話がわからない人と
そうそうって思う人の二極化が進むと言われている

まるで「アップサイドダウン重力の恋人」の映画のように・・・

私ですら・・・何年も聞き続けてきたけど聴こえてなかったし
見えてなかったもの・・・

そうか!
ではなく

でもね・・・があるうちは・・・人は変われない

その人それぞれに気づくタイミングがある・・

それも神の愛
気づくということこそ、神さまに愛されている証拠

いつ気がつくかな・・と待つこと、忍耐こそ
最大の修行と村山先生はいう

とことんまで下に行ったら後は人は上がるしかないからね・・

でも底まで行くのをただただ待ってあげるのも
見放されたと感じてしまう人がいるので
やはり、今ある苦しみに
寄り添って、その人の身になって共感してあげることも
大事なのだと波動のセラピストの彼女は言う・・・

やっぱり人は弱いから・・
一人でやってご覧と言われたって
怖くて一歩を踏み出せないんだと。

大丈夫だよって一緒にいてあげるだけで
前に進める勇気もでるから・・・

何のスキルもいらない
ただただ相手の気持ちに寄り添うことが大事なんだと
ここでも共感性が生きていくのに一番大事だという
TOEを思い出した・・。

親だから何かを教えるなんて必要もないし
人を変えようなんて言うのもおこがましい・・

人にはそれぞれに抱えた問題があり
自分で解決できる力を持っていて
それを使うために
いろんな場が用意される

それがどんな場で使うかというのが
ウイークポイントだったり人生のテーマなんだと思う

傾斜鑑法を6日にやるんだけど
それぞれの傾斜を見ていたら
その特徴はまさに、使命を教えてくれている

だから困難とかも怖がる必要はなくて
持っているのに使っていない能力を使うために
用意される場に過ぎないんだなと
見えてくる

前世を知りたいという人もいるかもしれないけど・・
現実の世界で見えるものの中から気づけないと
前世聞いても気づけないと思う・・

困難なこと、嫌なことが起きた時
もうカルマはひとつ解消されたってことだから
嫌なことが起こると人は落ち込むかもしれないけど
実は原因と結果は同時に起こるので
原因があって、今起きたことはそれの結果だったのだから・・
本当は喜んで良いかもしれないね。

起きることはただ起きる
良いも悪いもなく・・

巻き込まれないでただただ・・・遠くから
演出家のように人生ドラマを楽しもう!


自己中こそ大事。罪悪感を持たない人生を

2

借金などの問題はどうすればよいですか?
この心屋さんのブログは
「あるある・・・」「わかるわかる」の連続で
私も大好きです。

あるところまでは困ったり悩んだりするのですけど
もう嫌!と陰極まった時
それをしている自分に気づいて辞めた途端
うまくいくことがあります

病気になると人は病気の性にして
病気が悪者のように思い
薬や医者に頼って治してもらおうとしますが
それは全く逆の論理です

癌にしても切ったってまたできるでしょう・・
作るのは自分だから。
原因は自分だから・・。
病気の方が都合が良いとか
安むのが悪いと思っている人には
休む良い口実になるわけだし
寂しい人は心配してもらえるし
何か得があるからであって・・
病気を作り出しているのは自分で
病気様のお陰で思い通りになったので
感謝こそすれ、退治しようなんて
もってのほかじゃないですか・・

今日も日本にいたらうつになりそう!
っていう人がいたという話を聞いてて
じゃ~海外に行けばいいじゃんね

と話していたのですが
「そんな簡単にいくわけないじゃないですか?」って
思っている人がずっと何年も苦しいんですよね・・。

宇宙の法則というか・・自然の法則は
とってもシンプルで簡単なわけで・・・

親のことがうざいなら、距離が近すぎだから
離れたら解決するということもありますよね・・。

旦那の借金が嫌ならNO
って言えば良いだけです

でも私は
NOって言うくらいなら払う方が楽でした・・・・。
そういうのが人の道でしょうとか・・
出会った人には意味があるから責任感じなきゃとか・・
今はもうNOって簡単に言えるので
彼も私には頼んできません・・。

それよか・・
昨日「来年辺りやっとお金が入ってくるかも」
というので、
「入ってきたら子供のために使ってね」と言ったら
「子供のためになんて使ったらろくなことにならん」とあっさり言われました・・

まだまだ私は間違っていました・・

その通りです。

自分のために使わなきゃです。

「今度彼が一度連れて行きたいって言っているギリシャの洞窟の修道院があるんだけど
子供たち預かってもらえない?」と言いかけた時に

「じゃ~みんなで行こうよ」という返事に空いた口がふさがりませんでした

「みんなって?」「俺と奥さんと子どもたちと・・」
「私の旅に?」「だって俺ギリシャ行ったことないし海が綺麗って言うじゃん・・」

「・・・・・・」

どこまでも罪悪感がない人というのはこういう人のことを言うのでしょう・・・

私も何も恨んでませんけど・・

浮気して離婚して再婚した上に、慰謝料も養育費も何ももらってないばかりか
ずっとお金を貸してきていて、返してもらってないんですけど・・
うちの子も、福島の子も、ミャンマーの子も皆同じように関わる彼は
ある意味プライドとか、常識とか、制限というものが全く無い・・

自己中の典型です

自己中こそとっても大事です

自己犠牲はエゴです・・

そういう人こそ実は私が今見習うべきだと教えてもらえているわけですね

「それは違うだろ~」と思っていた頃は辛かったけど
「さすが」と思える今は良い友人です。

今あらがっている抵抗を手放してみると本来のあり方が見えてくるものかもしれませんね

ぽちとひと押しお願いします
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私も大好きです。

あるところまでは困ったり悩んだりするのですけど
もう嫌!と陰極まった時
それをしている自分に気づいて辞めた途端
うまくいくことがあります

病気になると人は病気の性にして
病気が悪者のように思い
薬や医者に頼って治してもらおうとしますが
それは全く逆の論理です

癌にしても切ったってまたできるでしょう・・
作るのは自分だから。
原因は自分だから・・。
病気の方が都合が良いとか
安むのが悪いと思っている人には
休む良い口実になるわけだし
寂しい人は心配してもらえるし
何か得があるからであって・・
病気を作り出しているのは自分で
病気様のお陰で思い通りになったので
感謝こそすれ、退治しようなんて
もってのほかじゃないですか・・

今日も日本にいたらうつになりそう!
っていう人がいたという話を聞いてて
じゃ~海外に行けばいいじゃんね

と話していたのですが
「そんな簡単にいくわけないじゃないですか?」って
思っている人がずっと何年も苦しいんですよね・・。

宇宙の法則というか・・自然の法則は
とってもシンプルで簡単なわけで・・・

親のことがうざいなら、距離が近すぎだから
離れたら解決するということもありますよね・・。

旦那の借金が嫌ならNO
って言えば良いだけです

でも私は
NOって言うくらいなら払う方が楽でした・・・・。
そういうのが人の道でしょうとか・・
出会った人には意味があるから責任感じなきゃとか・・
今はもうNOって簡単に言えるので
彼も私には頼んできません・・。

それよか・・
昨日「来年辺りやっとお金が入ってくるかも」
というので、
「入ってきたら子供のために使ってね」と言ったら
「子供のためになんて使ったらろくなことにならん」とあっさり言われました・・

まだまだ私は間違っていました・・

その通りです。

自分のために使わなきゃです。

「今度彼が一度連れて行きたいって言っているギリシャの洞窟の修道院があるんだけど
子供たち預かってもらえない?」と言いかけた時に

「じゃ~みんなで行こうよ」という返事に空いた口がふさがりませんでした

「みんなって?」「俺と奥さんと子どもたちと・・」
「私の旅に?」「だって俺ギリシャ行ったことないし海が綺麗って言うじゃん・・」

「・・・・・・」

どこまでも罪悪感がない人というのはこういう人のことを言うのでしょう・・・

私も何も恨んでませんけど・・

浮気して離婚して再婚した上に、慰謝料も養育費も何ももらってないばかりか
ずっとお金を貸してきていて、返してもらってないんですけど・・
うちの子も、福島の子も、ミャンマーの子も皆同じように関わる彼は
ある意味プライドとか、常識とか、制限というものが全く無い・・

自己中の典型です

自己中こそとっても大事です

自己犠牲はエゴです・・

そういう人こそ実は私が今見習うべきだと教えてもらえているわけですね

「それは違うだろ~」と思っていた頃は辛かったけど
「さすが」と思える今は良い友人です。

今あらがっている抵抗を手放してみると本来のあり方が見えてくるものかもしれませんね










2014年11月30日日曜日

自分が喜ぶためにこれからの人生を生きる

娘が何かを欲しがった時に、
その後「やっぱいい・・」と諦めるのが気になっていました。
どこかに行きたいと言っときながら、いざ行こうとすると「行かない」とか
「食べたい」と言っておきながら「いらない」と諦めたり・・
なぜなんだ?と何年も悩んできて
ふとおととい目に止まった言葉が・・・
「欲しがってはいけない」でした・・。

欲しがることは悪である・・というか
欲しがらないことが良いことのように無意識に思っていたようです
特に「もの」に対して・・
だから子どもがなにか欲しがると
なんで我慢できないの?どうして欲しがるの?という
幼いころの私は我慢したのにという感情がありました

服なんか古着でも良いと私は思うけど、娘はブランドのものを欲しがるし
映画だってどうせTVでやるでしょと私は思うけど
娘は映画館で見たいと言います。
リクエストされれば、私は「良いよ」っていいながら・・
心の中では「もったいない・・・」と思ったりしていたので
「ママは我慢してるのに私だけが欲しがってはいけない」という遠慮が
彼女なりにあったのでしょう・・。

私は前世で、修道女だったそうです。
(3人位の人に言われたことがあるのでそうなのでしょう・・)
神との結婚は身一つと家も家族も財産も友達も何もいらないと思って生きていたのだと思います。
神の愛を受け取れないという怒りがずっとあったそうです。
本当は神の愛は届いているにも関わらず、
あるのに求める
そして・・諦めていたのですね・・。

清貧の誓いを立てていたのかその癖で、今世はあまりものに執着がなく
車だって走れば何でも良いし、
部屋も子供の頃に住んでいたまま・・・タンスも本棚も30年以上前のものだと思います
あるのに買うのもったいないし・・と思うので
私の前の夫は二人共かなりお金をバンバン使う人でした。
陰と陽のバランスなのでしょうね・・
だから・・お金だってあったら誰かに使われてしまうという信念ができてしまって
そういう経験をして、お金はとどまることなく流れて行っておりました。
「人生は修行だ」という信念もあったので
苦労した方が成長できるくらいに思い込んで生きてきたように思います・・

でもそこが間違いだと気が付きました・・

私はいらないけど、子供にだけ受け取って欲しいと思ってきたので
子どもが受け取らないをずっとやってきたんですね。
それで
まずは自分が豊かさを受け取る許可を出しました

流れが変わりました・・

人は体験したいがために生まれてきて
感情を味わいたくて経験します

うそ~こんな病気なんか体験したくない
貧乏はいや~
こんな旦那はいや~と思うかもしれませんが・・
自分が選んでそれを経験しているといいます。

フランケンシュタインが絶世の美女の奥さんを作ってと博士に頼まず
自分と同じ醜い奥さんを作ってと頼んだように
フランケンシュタイン症候群といって、
分相応の願いを願っていたり
自分にはこのくらいという制限や諦めも作り上げてしまうのだそうです

神様にオーダーを出しておきながら受け取りを拒む人なんているの?と思うでしょうが
多くの人は願っても叶わない、叶うはずないと自分で制限をしているそうで
神様の倉庫には一杯名前のタグのついた
取りにこない特注品が眠っているそうです。

敵は自分の中にあり、
神様でもなければ、周りにいる人でもありません・・・

自分の人生を邪魔しているのもそれは自分以外の何者でもありません

私は私のためだけにお金や時間を使うというのが罪悪感だったので
私に罪悪感を感じさせないために
子供たちや、元夫などが使ってあげようが働いていたのかもと
今日はじめて気が付きました・・

私が喜ぶためにこれからの人生を生きよう

と決めた今日一日はとても充実していました。
今日は子供を置いて遠出をしました
土日に子供を置いて出かけるのは罪悪感の塊で
どうせ出かけるなら一緒に楽しめるように
それが私のお金と時間の使い方でしたが
今日はひとり私の為に高速代もガソリン代も使い
友人とランチして温泉まで入ってきました・・・。
普通じゃんと言われるかもしれませんが
私にとっては子供たちとでかけ食事をしたり一緒にお風呂屋さんに行くの選択のほうが
ずっと楽なわけです
でも子どもと出かければ、兄弟げんかはするし、私は子供を優先して
自分が我慢したり、イライラしたりするわけで
健全ではありません・・・

今日は
どこへも連れて行ってあげられなかったのに子供たちはご機嫌で
母からのクレームもありませんでした・・・

「あなたのために」という母親のプレッシャーの元 育つ子どもの身にもなって
という友人の言葉が身にしみました・・・。

あなたのために私は働いているのよ
あなたのために土日は休んでいるのよ
あなたのために時間を作ったのよ
あなたのためにお金を使ったのよ・・

言わなくても子どもはちゃんと感じるものです・・

昔は大人の会話に子どもは入れなくて
お金のこととか大人の事情は子どもにはわからない世界でした。

だからこそ、早く大人になりたいとあこがれ尊敬もした

あの頃の私に今の私の事情なんて想像もつかない・・・のに・・
子どもになんでわかんないんだろう?なんて思うことのほうが間違いだったんですね・・


年末も子供たちとスキーです

この年でスキーは大変と思って憂鬱だったのですが
コミュニケーションの達人の私の師から
「無理なことはしなくていいから、2時間だけでも真剣に手を抜かず子供たちと遊んで
自分が楽しんだら良い」と言われました
できることとできないことをはっきり伝えること・・

家族であってもその線引があるかないかは・・・
自立して長続きする秘訣かもしれません

私の母は他人も我が子も、犬も同じように共感し
同じように対応します


そこが身内としては水臭いとか、冷たいよな~と感じるところで
愛されてないのかなと比較した時もありましたが
それをずっと教えてくれてたんだと今日は気づきました。

子どもたちに何でも与えて合わせるのが良いわけではなく
それは愛ではなく相手の自立も、自尊心も、自己肯定感も
奪う行為だったのかもしれないなと思いながら
これは自分と親との関係も見直せる瞬間でした・・。